栗のエッセイ部門

作品1.「感謝のマロングラッセ 」小松崎 有美

父は几帳面だ。どんなに些細な予定でも手帳替わりのカレンダーに逐一書き込む。例えば九月の栗の時期。マロングラッセを作るにもわざわざ手帳に「栗を拾う」とか「一晩浸ける」と書く始末。砂糖を足しながら煮詰めること五日。これでようやく父の任務が完了。最終日の手帳には大抵「味見」と書いてあった。 
そんな父のマロングラッセだが、正直私はそこまで好きではだった。お金を出せば美味しいマロングラッセはいくらでも買えるし、時間も手間もかからない。何より渋皮を剥いた父の指は爪の中まで真っ黒。それを見ていつしか父のマロングラッセを敬遠し始めた。 
しかし、である。上京してからも父は誕生日になるとマロングラッセを送ってきた。それも大瓶で。父が言うには日持ちは二週間。私はしぶしぶ二週間後のカレンダーに「処分」と書いた。 
そんなことが続くこと十五年。父の手帳がスマホのスケジュール帳に変わった頃、父が脳出血で帰らぬ人となった。呆気ない別れにしばらく何もできなかった。父が使っていた鍋や包丁もそのまんま。マロングラッセの入った大瓶も処分できずにいた。やっと父の携帯電話を解約できたのは四十九日を終えてからだった。 
その日私がリビングを片付けていると父の携帯電話が鳴った。さっき解約したばかりなのになぜ。何だか急に怖くなって、思わず遺影を見てしまった。まさか、父が。いや、まさか、そんなわけ。 
それでも鳴り止まない着信音。私が恐る恐る覗き込むとそこには意外なメッセージが映し出された。 
 
『有美 誕生日。マロン送る』 
 
私は目を疑った。これは父が生前スマホのカレンダーに入れていたメモだった。何だかまるで天国からのメッセージ。私は携帯を抱きしめて泣いた。嬉しくて、切なくて、でもありがたくて泣いた。こんなことなら腹いっぱい父のマロングラッセを食べておけば良かった。それなのに感謝を伝えようにも愛する父はもういない。いないんだ。その事実が、どうしようもなく、ここにある。 
翌週私は父のレシピをもとにマロングラッセを作った。懐かしさと寂しさで、できたマロングラッセは涙でほろ苦く感じた。だけど父への感謝の気持ちは変わらずにある。 
「ありがとう、父ちゃん」 
仏前に供えると遺影の父が微笑んで見えた。それを見るなり安堵し、なぜだろう、また泣いてしまった。 


作品2.「 キュートな箱に詰め込まれた浪漫(マロン)」山本 菜美子

 12月25日の朝、ベッドから飛び起き階段を駆け下りて玄関へと向かった。クリスマスツリーを横切るとそこには、ピンクのハートの形をした箱が置かれていた。
両手でそれを抱え上げると、ゴロリと鈍く何かが転がる音がした。左へ傾けてみると、ゴロッ…ゴソソ…と少し重みのある音がゆっくり波のように雪崩れていく。どうやらこの箱の中にいる物体は1つだけではないようだ。それどころか十数個、それ以上にあるだろうと錯覚した。

真冬の冷たい廊下をドタドタ走る、それと同時に心臓も高鳴った。リビングへ着くとすぐさま箱の蓋を開けた。そこには立派なツヤッツヤボディーの栗たちが箱いっぱいに肩を寄せ合っていた。
とびきりキュートな箱。しかし中にいたのは「よっこらせ」と言わんばかりの顔した栗たちがこちらを眺めている姿。

正直に言うと、だ。全くもって期待外れである。プレゼントの定番って自転車やらおもちゃやら、もっと他にあるはず。4歳のわたしにとって、サンタさんのこのプレゼントは「渋すぎる」のだった。頭の理解が追いつかず言葉が出てこない。

そんなわたしの姿を見て父が「栗大好きやし、よかったなあ」と言う。
そう、栗が大大大好きだ。小分けのものなら1日に何袋も開けるし、ケーキは必ずモンブラン。
でもやっぱり期待外れ。しかし、心とは裏腹に「すごく嬉しい!大好きやもん!」と答えた。いつもクリスマス前に悪事を働こうとすると、母が「サンタさん見てるよ!」と言ってくる。きっとこの様子もサンタさんは見ていて、プレゼントのチョイスについて悪態をつこうものなら、来年からプレゼントはなし!と言ったことになりかねない。だから目一杯喜んでいるフリをしたのだ。

そのあと小さな手で一生懸命栗の皮を剥いた。プレゼントへの期待は呆気なく消え、栗ひとつひとつに不器用な手で向き合う。
爪には薄い皮がたくさん詰まっていて、指先は真っ赤。しかも実はボロボロで本来の実の姿より一回り小さくなっていた。チキンでもなく、ケーキでもなく、自分で剥いた栗を食べるクリスマス。なんだかおかしな経験だけど2度と起こることはない特別な日なのだろうと、幼心に感じていた。

20年経った今も年末実家に帰るといつも栗が用意されている。それを剥いて食べながら家族とあのクリスマスの話をして笑いあう。
本当は期待外れだったけどサンタさんが見てると思い喜んだフリをしていたこと、大人になってやっと本音を言った。やっぱり笑われた。

今でも皮を剥いて食べる時はあの日の小さな手の自分に戻って、栗ひとつひとつと一生懸命に向き合うのだ。



作品3.「ほろ苦くて甘い栗」岡本 優華

 甘くて美味しい栗を見るとふと思い出す、ほろ苦い思い出がある。
小学4年生の頃、家族で山登りにハマっていた。お弁当を持って近くの山を散策して景色を眺め、身体をしっかり動かす。よく食べ、よく遊び、帰る頃には疲れ切ってよく眠ることができた。
秋といってもまだ暑いなか、わたしと父と妹と弟の4人で山登りに出かけた。しかし、わたしは3分の1程登ったところで気分が悪くなり、休憩することになった。暑くてつらかったこともあり、ついわたしは「こんなことなら、涼しいスーパーに行ったお母さんについて行けばよかった」と口にしてしまった。せっかく連れてきたのに、と父は怒り「じゃあ3人で行ってくるからそこで1人で休憩してなさい」と言ってわたしを置いて頂上をめざした。
仕方なく木陰の休憩所で1人で待っていると、同じように山登りに来ていたおじいさんが「大丈夫?」と話しかけてくれた。
ことのあらましを、おじいさんは「そうだったの」と優しく聞いてくれた。そして話し終わった時、山で拾った栗を1つわたしに手渡した。「これをあげるから、お父さんと仲直りしようね」と言葉を添えて。もらった栗の外側のトゲトゲをみていると、なんだかわたしのように思えてきて、なんとも言えない気持ちになった。
しばらくして、3人が下山してきた。父はわたしを置いて行った負い目があったのか、見知らぬおじいさんにお世話になっていたからか、少し気まずそうにしていた。話し相手になってくれたおじいさんにお礼を言い、4人でそのまま帰宅した。
家ですっかり回復したわたしは、持ち帰った栗を母に渡して、湯がいてもらった。皮を剥いてみると小さいけれどかわいい、コロンとした実がでてきた。そのまま食べると、ほんの少しの渋皮の苦みと優しい甘さが口に広がり、おじいさんとの約束を思い出した。
わたしは父のところに行き、「今日はごめんなさい。休憩所で会ったおじいさんからもらった栗、おいしかったよ。優しいおじいさんに会えたし、今日行ってよかった」と伝えた。父は「お父さんも怒ってごめん」とわたしを抱きしめた。
トゲトゲしたほろ苦い気持ちは、おじいさんのくれた栗のおかげで優しく甘く溶けていった。



作品4.「白い長靴と預金通帳」前田 佳代子

 「栗拾いにはこれが一番! トゲトゲのイガを踏んでも痛い思いをしないで拾えるんやよ」
母が、元は白くてきれいだったろう愛用のゴム底の長靴を履く。
子どもの頃、日曜日は父と一緒に裏の畑で過ごすことが多かった。父はサラリーマンだが、休日には野菜を作り、ぶどうやイチジクなど実がなる木を植えて収穫を楽しみにした。
 秋は栗。
「栗拾いだけは、お母さんの出番やでねぇ」
と、張り切った母が台所用のゴム手袋をはめ、火ばさみを持って、畑に登場。
 緑色から茶色に変わった大きなイガが、畑のあちこちに落ちている。イガの少し口が開いた方を上にして長靴の両足で、その口を広げるように踏む。すると中からぷくぷくと丸く膨らんだ、きれいな栗が現れる。母が火ばさみでうまく取り出した実を、私がせっせとバケツに入れ、父がそれを運ぶ。
「採れたてやで、美味しいよ!」。母は、ゆでたり、栗ごはんを炊いたりしてくれた。 
 いつもは近所にお裾分けする程度なのが、その年は随分と豊作で、岐阜市内の青果物市場に持っていくことになった。
 五十年ほど前だから私が小学一、二年生の頃で、父と出かけるのが嬉しくて私もついていった。セダンの車に栗を積めるだけ積んで市場に向かうと、広い敷地内にはトラックばかり。初めての場所の珍しい光景にキョロキョロしているうちに、栗の重さが量られた。
 後日「はい、記念やでね」。父から、私の名前が書かれた真新しい銀行の通帳が渡された。開いてみると、四一三二円! 私は金額の大きさに思わず息をするのを忘れるほどだった。
一緒に手紙が挟まれていた。「栗のお金です。頑張ってお手伝いしてくれてありがとう」。
四角張った、几帳面な父の字だった。 
栗を何キロ収穫できたのかは、わからない。でも、そんな大きなお金をもらったことはなかったので驚いた。三人で頑張ったのに独り占めして、何だか申し訳ないような、でもやっぱり飛び上がるほど嬉しかった。 
その後、市場に行った記憶はない。裏の畑はそのうち柿畑になった。それでも家族は皆、大の栗好きのままだった。
毎年、その季節になると必ず思い出す。亡き母や父と一緒にした栗拾い。白い長靴と火ばさみ。生まれて初めてもらった、いわばお給金とその大事な通帳。そして、もっともっと大事な手紙。今も大切にとってある。

作品5.「父が残したもの」見沢 富子

 ちいさな栗畑を残して父が逝った。このご時世、土地を売っても二束三文。その処分に困っていた時だ。
「ねえ、もうすぐ栗が落ちそうだよ」と孫が言う。思い返せば毎年この時期には拾った栗を送ってくれた父。だけど見渡せど父の家には火バサミも、長靴もない。これで一体どうやって栗を拾っていたのだろう。
その数日後。「栗を拾いに行ってもいいか」とご近所さんから電話があった。すると数分後なんと十人ものお年寄りが長靴に、軍手姿で現れた。
「毎年なあ、キヨシさん家で栗拾いさせてもろうてん」
父と仲の良かった男性が言う。その後も栗を拾いながら友人たちは思い出話に花を咲かせた。
「キヨシさんがうちの次男を栗拾いに誘ってくれてな。長年引きこもってたんだけどここに来ると元気になってな。栗拾いで命まで拾われたようなもんじゃ」
「キヨシさんの栗をな、栗ごはんにして、うちの婆ちゃんに食べさせたら、死んだ母ちゃんの味がするって泣いて喜んでな」
「うちは貧乏じゃけえ。道具もなんも持ってなかったら、キヨシさんが軍手と火バサミくれたんよ」
父の家に道具がない理由がやっとわかった。そして父が長年大切に守ってきたものがわかった。栗拾いを通じてつながる、人との絆。
今では引きこもりの男性も農協に就職し、各地の直売所の統括もしているという。
「キヨシさん。ありがとなあ。安らかになあ」
採れたての栗を仏前に供えると皆が涙ながらに手を合わせた。もう二度と会えない父。だけど二度と忘れることのない恩。父が残してくれたのはお金でも、田畑でもなく、縁だった。
私は皆が帰ったあと、仏前の栗を見ながら誓った。
父ちゃん、私、これからも栗畑を守ってゆくよ。それが供養であり、恩返しだと思うから。

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